文化伝達としての旅
西行はもっとも人間らしい生活を求め続けたのでしょう。
それゆえに出家し、旅をし、歌い続けねばならなかった・・・。
それはこんにちのわたしたちが旅を求めるのと同じです。
生存権という言葉があるなら、旅行権というものも認められていいくらい、わたしたちには旅への希求があります。
それが西行の旅の歌への共感となってもいるといっていいのです。
西行の作品で詞書のついているのをみると「長楽寺にて、夜紅葉をおもふと云事を、人々よみけるに」という具合に「人々」と一緒に歌われているのがかなりあります。
いわゆる歌会での作です。
ただ、そうした歌会も、当時の歌壇の動向からは縁の薄いグループであったことは、川田順をはじめとするこれまでの研究でかなり明らかになっています。
何しろ当時公的な歌会には 度もその名が出て来ないのです。
したがって西行の場合の「人々」とは、風巻景次郎が『西行』のなかで結論づけているように、ごく限られた範囲のものであり、当時の歌壇の中心から「互角対等に迎えられる身分の人間ではなかった」のです。
しかしこのことは、記録には残ることのない多くの歌会が、全国各地で行なわれていたであろうということを逆に証明するものでもあるでしょう。
それは、全国各地の西行説話の存在からも証し得ますが、伊勢における神官たちの作歌サークルが西行をめぐって形成されたことを窪田章一郎の『西行の研究』は明らかにしています。