文化伝達としての旅 2
西行とは時代的にはほぼ一世紀あとですが、『とはずがたり』の著者が西行にあこがれながら出家して旅を続け、伊勢にたどりついたときには、神官のなかの「すき者ども」と和歌の贈答をしたりしています。
また備後へおもむいたときには、都の人ということで描いた絵を讃められたりもしていることは、いかに地方の人々にとって都の文化があこがれとなっているかを示すものです。
それより一世紀前の西行の時代においては、いっそう都への思慕があったであろうと想像させます。
そうした期待が、歌僧としての存在を許したと考えられます。
荒法師として有名な文覚が西行に対して、遁世の身の上ならば仏道修行に専念すべきなのに、和歌をよみ歩いていると立腹したことが『井蛙抄』にはあります。
しかし、そのことは逆に考えるなら、仏道修行もせずに和歌をよみ歩く僧を迎えるだけの条件が諸国に備わりつつあったことを示すのです。
"すぐる春しほのみつより船出して浪の花をやさきに立つらむ"
・・・には、「伊勢にまかりたりけるに、三津と申す所にて、海辺の春の暮といふ事を神主ども詠みけるに」とあるものであり、神官たちとの歌会を通じて、和歌の世界が地道に脈うっていることを感じるのです。
この作品そのものは、「海辺の春の暮」という題詠であり、形式的な美をねらったような印象のもので凡作にすぎませんが、和歌の世界の広がりは考えさせられるのです。